2022年10月23日 降誕前第9主日礼拝説教要旨
「神の前に豊かになる」 小笠原純牧師
ルカによる福音書 12:13-31節
ピーター・ノーマンは、1968年オリンピックメキシコシティー大会で、陸上男子200メートルで、第2位になったオーストラリアの選手です。ピーター・ノーマンはクリスチャンの一つの派である「救世軍」に属する両親のもとに育ちます。お父さんはピーター・ノーマンに、「肌の色など関係ない。人間はみんな平等なんだ。それを忘れてはいけない」と言っていました。そうした信仰のもと、ピーター・ノーマンは、トミー・スミスとジョン・カーロスと行動を共にしました。「ブラックパワー・サリュート」(黒人の力を示威する敬礼)という事件です。ピーター・ノーマンは、自分のために富みを積むことよりも、神の前に豊かになることを選んだのでした。
人は取り去られる命を生きています。私たちがいつ天に召されるかはわかりません。お金持ちも、貧しい人もみんな、取り去られる命を生きています。自分勝手に生きて、周りの人々のことを考えないで生きていると、「愚かな者よ、今夜、お前の命は取り上げられる。お前が用意した物は、いったいだれのものになるのか」と言われるのです。
「自分のために富を積んでも、神の前に豊かにならない者はこのとおりだ」と、イエスさまは言われます。だれしも天に召されます。そしてお金を持って、神さまのところに行くことはできません。人はみな神さまから与えられた命を生きています。神さまから与えられた能力をもって、この世での生活を送ります。私たちはみな神さまによって与えられた者によって生きています。ときどき、人はそのことを忘れて、すべてのものを自分の力で得たかのように勘違いしてしまい、周りの人たちに対して冷たくあたったりすることがあります。
私たちはみな神さまのところに帰ります。神さまのところに帰るのですから、やはりそのとき神さまにできれば誉めていただきたいなあと思います。ですから自分だけのことを考えて生きるのではなく、倫理的な生き方をしたいと思います。
だれからみてもりっぱな生き方はできないかも知れないけれども、やはり私たちクリスチャンは神さまの前に誠実な生き方でありたいと思います。神さまは私たちを見てくださっています。すべての点でりっぱではないかも知れないけれども、しかしやさしい気持ちを大切にして、周りの人々の幸せを祈りながら生きている、私たちの歩みを、神さまは見ていてくださいます。神さまの前に豊かになる歩みを、これからも大切にして歩んでいきましょう。