2016年1月11日月曜日

2015年10月25日

2015年10月25日主日礼拝 説教要旨
    「杖、一本」宇野稔牧師
(マルコによる福音書6章6b〜13節)

 イエスを巡る情勢は厳しくなっていました。故郷で受け入れられなかったのですが、あえて弟子たちを伝道活動に派遣します。その伝道は「成功」していませんが、13節や30節では彼らの充実、満足が伝えられているのは何故でしょうか。具体的に派遣の内容を見ると、命令は「杖一本」だけ持ってでかけるようにということです。金銭も、食料も、着替えも、文字通り必要なものは持ち合わせなかったのです。弟子たちに与えられたのは杖一本です。
 杖という言葉で思い起こすのはモーセのことです。80歳で召命を受けイスラエルの人々を解放せよという命令です。その時に彼に与えられたのが杖でした。杖一本でファラオの前に立ったのです。いわば杖は信仰の象徴なのです。神が私と共にいるという信仰です。「イエス様、共にいてください」。派遣された弟子たちはそんな祈りの日々を送ったのです。あまりにも知らないこと・恥ずかしいこと・惨めなことに直面しながら、しかし不思議なことに守られてイエスの所に帰ってきたのです(30節)。
 自分たちは何も持っていないことを実感しながら、同時にそれでも守られていることを体験したのです。本当に必要なものは言葉や知識、能力や知恵ではなく、杖一本だけだったのです。そしてその杖とは、イエス・キリストが共にいて下さるという祈りと信仰なのです。
 人間は失敗もします。自分には力が足りない、あれが足りないこれが足りないと、不平不満が心の中を往来します。でも人間が生きて行くのに必要なことは多くありません。いいえ、たった一つなのです。誰かが自分を愛していてくれていること、誰かが自分を必要としていることです。その誰かが「だから一緒に歩もう」といってくれることです。
 そして、変わらない折れることのない杖一本、それはイエス・キリストなのです。その名前の意味は「インマヌエル。神が共にいて下さる」です。共にいて下さるイエスと共に11月も元気一杯に歩みましょう。

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