「まことの光」 宇野稔牧師
(ヨハネによる福音書1章1〜13節)
クリスマスはイエス・キリストの誕生日の日ですが、何故神の子が人間となってこの地上に来る必要があったのだろうか。
聖書は「すべての人を照らすまことの光」としてこの世に来られたとあります。2千年前に既に光としてイエス・キリストは来ました。キリストの誕生が元年。この事実は変わることはありません。ではそれを私たちはどう受け止めるべきでしょうか。
今日の聖書、ヨハネは降誕物語をもって始めるかわりに、言(ロゴス)、命(ライフ)、光(ライト)という三つの言葉をもって描き出しています。この言はその最も深い意味でキリストご自身と主が私たちに与えて下さったものを表しています。9節のこの世を照らすために来られたという言葉は、この世界は闇の世界であるということです。この世界は神様が創造された時は「非常によかった」と神が評価した世界でした。
しかし、人間に罪が入って来たことにより、今は世界に悪が溢れているということです。即ち、「まことの光」であるということは、偽物の光もあるということです。民がキリストを受け入れなかったのは、偽物の光が溢れているから、敢えてキリストを求める必要がなかったのです。罪の世界に住んでいる私たちは、闇の世界であっても生活できるのです。しかし、電源が切れると消えてしまうような偽物の光に私たちを幸せにする力はありません。キリストが来られたのは偽物の光の中、幸せであるかのように振る舞う私たちのために来られたのです。
そのために、キリストは神の栄光の全てを捨てて来られました。神は私たちが救われるために何でもなさいます。故に、まことの光を受け取るように求められています。この光であるイエス・キリストを受け入れるならば、神の子となることが可能なのです。
先ずは自分自身がまことの光にいつも照らされ続けていることです。それはただ、イエス・キリストを心に迎え入れ、キリストが私の内で輝くことを求めるのです。
0 件のコメント:
コメントを投稿