「喜びあふれて」 宇野稔牧師
(マタイによる福音書2章1〜12節)
クリスマスおめでとうございます。
占星術の学者たちは異邦人であり、救われる資格の無い人間だと考えられていた人たちでした。しかし、彼らは救い主に会うために星を頼りに旅を始めます。自分の仕事を投げるのも同然でした。旅は心細くても「キリストが生まれた」という知らせに全存在をかけていたのです。一方ヘロデ王は、王宮に住み安定した生活でしたが、それは神を必要としない生き方を意味しております。この両者は各々、その後どんな人生を体験するのでしょうか。
ヘロデは、キリストの降誕を聞いて不安におののき、恐れが殺意を生み悲惨へと連鎖して行くのでした。恐れが殺意を生み悲惨へと連鎖して行くのです。学者たちは、旅することの不安の中でも「星に導かれている」ことを確信し、神の御手のうちにあることを知り、神と出会って行くのです。そこには「喜びあふれる」と表現される喜びを発見します。今まで知らなかったことを新しく知ったという喜びなのです。私たちの人生の中でも同様です。即ち、キリストと出会うということは、私たちが今まで経験できなかった喜びを発見することです。
クリスマスを迎えました。神の子の誕生の知らせをキリスト教の行事だと考えて済ませてしまうことは、神を必要としないあのヘロデの生き方に通じるのではないでしょうか。
マタイがこの物語を通して語りかけているのは、主の誕生を知らされた者は、主の言葉に望みをおいて生きるという決断をしなければならないという呼びかけです。学者たちのように全てを神に献げて生きる決断をしなさいとの呼びかけなのです。故に、自分の善悪も含めて、そこから新しい歩みを始めるということです。御言葉という星に導かれて新しく生きる決断をするということなのです。
この決断は私たちを新しい出会いへと導きます。私たちは神に導かれ、愛されているという事実に出会わせるのです。その時、私たちも「喜びあふれる」のです。新しい出会いの喜びに感謝しましょう。
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